存在の耐えられない軽さ、と広大過ぎて切ないロシア

ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」は小説音痴の僕でも半分は読めても、「不滅」は意外に全然ダメ。クンデラの「不滅」はゲーテをモチーフにファウスト的な世界観を描写している書物なので、ファウストを得意なオハコにしている僕としては楽勝と思ってもページが全く進まない。

最近になり、スターリンへのプチマイブームから「ロシア」を俯瞰できるよう、2021年秋にガガっと齧り食いみたくロシアを試食してみると、ロシアは深く寒い。そんで広い。昭和の世界地図はほぼ メルカトル図法だったので、あの頃はソビエト連邦でしたがもうデカ過ぎの度が越えている。子供ながらにこの常識外の土地はウルトラセブン第43話「第四惑星の悪夢」みたいなところだろう断定しておりました。イワン雷帝からロシアを紐解くには馴染み薄すぎ、ピョートル大帝でもまだ近代ではないけれど、1848年からのヨーロッパとロシアはオモロい。

1848年にドイツで小さな革命があり、そこからドイツとロシアは激しく狂騒していきます。ビスマルクの出番が来て、レーニンとスターリンが追随します。あんな寒いところにあるロシアの南下政策は歴史上チョイチョイ生じていますが、南下じゃなくてドンドコ東方に領土は拡大され、とうとうカムチャッカに着くは、ベーリング海峡を見つけるはホントにご苦労様です。で、ロシアのココロはやっぱ欧州、ドイツに向かっちゃうんですね。

ミラン・クンデラはチェコスロバキア産まれで、1968年の「プラハの春」で燃えました。東方正教会を奉ずる東欧、ロシアが読み取るニーチェの永遠回帰や、現代にも通ずる理性的、男性的を意味するファウスト的概念を描写するクンデラの作品に、僕がイマイチなのはその甘ったるさ、かなー。東洋人である僕がドイツを、ヨーロッパを間接的が故に客観視できても、東欧はロシアとドイツに二股を掛けているオンナだから、芳醇っぽいけど酸っぱいのだす。