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マスクの禍根

新型コロコロ騒ぎの帰結として、マスクは日本人にとって「令和のちょんまげ」と表した方がいて、なるほど!!!….と頷いていた矢先、「ゲルハルト・リヒター展」を東京国立近代美術館に観にいった所感で、これはチョンマゲでは済まないと確信しました。 令和のちょんまげ、は外国人から見てマスクを能動的に外せない日本人を揶揄して表現されたもので、とてもウィットに富むキャッチです。されど、わかった、これはもはやチョンマゲのレベルでは済まず、マスクすることによる「匿名性」つまり自分を隠せる魔力に多くの日本人は堕ちてイってる。...

結局のところ、とうとうこれからアメリカに、骨の髄までしゃぶられ始めるわけだ

ウクライナとロシアのドンパチを一番喜んでいるのはドイツ。やっと、ヨーロッパの「主(あるじ)」の座に戻るきっかけとなった。NATOは有名無実化し、ユーラシア大陸からアメリカ軍はだんだん撤退せざるを得ない。 日本はハリウッド映画に毒されて、ナチスドイツを破ったのはアメリカによるノルマンディー上陸だと勘違いしている。ナチスドイツが敗れるきっかけとなったのは独ソ戦、特にスターリングラードの戦いが転換点。それらの経緯を踏まえ、戦後は首都ベルリンが東ドイツ領域に帰属していたんす、よ。...

再び、フーコー

フーコー、のどこが一番、好感が持てるかと言うと、彼は著明かつフランスで学問の最高府のポジションをゲットできていたのにも関わらず(結構、反抗的なスタンスを取ってたけど、良質な作品もたくさん書けてたのだ)、死ぬ時は麻薬を大量に使ってラリったまま死にたいと公言していたとこ。

バタイユ、エロティシズム

オジさんによるバタイユ解説。 ジョルジュ・バタイユ、切れ味のある文章を書くし、タブーを好んで取り上げる姿勢も好奇心を煽るに足る才能を有していますが、文献によってのバラつきが極めて多い(そこが持ち味でもありますが)。 タイトル買いされがちな「エロティシズム」ですが、訳者を問わず「ちょっと長すぎ」。言いたいことは、まえがきの最初の4行で済んじゃうし、これを読破したとかいうヒトは真正で才覚がある哲学者でしょか。...

レトリックとアレゴリー

修辞学ってのが西洋ではギリシャ時代からあり、ってかもっと古くからあっただろうけど現存する文献が古代ギリシャからしかないからそういうのだろうけど、中国語でも古代インドでも言語を修飾するレトリックは当然あります。 レトリックが生じた動機が言語への「飾り」なのか、はたまた別の目的であったのかは不知ですが、昨今のレトリックの使用目的は「読者を識別するため」が良いと思われる。要するにバカには読めない、理解できないように高貴さを守るために。 さて、ではアレゴリーはどうだろうか。...

マスゴミの中身は

マスゴミの、当の本人たちが「本当は自分たちは大いなる勘違いをしている」と、感じているのも疑わしい、が大衆が羨望するマスゴミの中身ってルックスと学歴だけ、と言っても過言でない、熟成されたゴミ状況。 敢えて言うけれど、たかだか早慶出身でルックスが良いアナウンサーを、なんか凄い人たちと勘違いしている。 早稲田や慶應とか、小さい頃から仕込まれれば入学できるし、多少の美容整形とアナウンサー専門学校に行ってただけの「ただのヒト」だけよ。...

ぼんやりしていて、何が変化しているのかわかりにくい今

もちろん、大衆社会って呼び名は400年前から流布しているので、現在の「ぼんやりしている」のが大衆社会の問題だよぉ~ん、って帰結するのは淡白すぎる。 誰でも感じているとおり、現在進行中の病巣は「偽善者」の増殖拡大。 いろんな指標を駆使して現在を分析しようと横文字を羅列する方々が多いけれど、シンプルに「なんだろう、これは?」ってぼんやり感じたなら、「偽善者」がゾンビの如く増えていると置き換えて考えておけば通用します。...

フーコーは、スキンヘッド

ミシェル・フーコーを、哲学系のひとは「フーコー」、フーコーと簡単に呼び捨てます。フランス人の名前は日本語読みすると「おフランス」って印象される言語的なハードルがあります。で、フーコーですが、業界的には知の巨人と評することが多い。なんで同時代で同じフランス人のジル・ドゥルーズを知の巨人と評さないのかは、単に、若干フーコーの方が読みやすいだけだから、と僕は解しています。...

76年間、3世代にわたり戦争がない日本

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徳川幕府の250年間続いた平和の世、ってのは帝国主義諸外国が日本に攻めにくるには、日本はあまりにも「極東」で遠すぎ、近くの大国「中国」も常識を逸脱した秀吉の大陸出兵で、清朝になってからも敢えて日本は刺激せずとのトラウマが功を奏し、250年という世界史的に見ると極めてまれな平和を享受しました。 今の、日本の平和は、日本固有の「狂気」が飼いならされたポチになっているが為。平和の定義をただ一元的に戦争のない状況としただけでいいのか?と逆説的を問うても、理性は世界史の引き出しから「そのとおり、平和とは戦争がない状態」と問答無用です。...