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再び、フーコー

フーコー、のどこが一番、好感が持てるかと言うと、彼は著明かつフランスで学問の最高府のポジションをゲットできていたのにも関わらず(結構、反抗的なスタンスを取ってたけど、良質な作品もたくさん書けてたのだ)、死ぬ時は麻薬を大量に使ってラリったまま死にたいと公言していたとこ。

レトリックとアレゴリー

修辞学ってのが西洋ではギリシャ時代からあり、ってかもっと古くからあっただろうけど現存する文献が古代ギリシャからしかないからそういうのだろうけど、中国語でも古代インドでも言語を修飾するレトリックは当然あります。 レトリックが生じた動機が言語への「飾り」なのか、はたまた別の目的であったのかは不知ですが、昨今のレトリックの使用目的は「読者を識別するため」が良いと思われる。要するにバカには読めない、理解できないように高貴さを守るために。 さて、ではアレゴリーはどうだろうか。...

フーコーは、スキンヘッド

ミシェル・フーコーを、哲学系のひとは「フーコー」、フーコーと簡単に呼び捨てます。フランス人の名前は日本語読みすると「おフランス」って印象される言語的なハードルがあります。で、フーコーですが、業界的には知の巨人と評することが多い。なんで同時代で同じフランス人のジル・ドゥルーズを知の巨人と評さないのかは、単に、若干フーコーの方が読みやすいだけだから、と僕は解しています。...

「七つの夜」 J・L・ボルヘス

ホルヘ・ルイス・ボルヘス、作家名を知っているか知らないかで、かくも<大衆>と<好奇心をもつ人間>を分かつ目安のトップに現在位置するのがボルヘスちゃいますかな、、、 もちろん、この場合の大衆とは(僕が)ケチョンケチョンに扱っているヒトたちです。 逆に幸運をつかむ、つかめるヒトは群れを嫌い、野心と憩いの間に好奇心を月夜に引っ掛けられるヒトたちです。 「千一夜物語」アラビアンナイトですが、ボルヘスに説明させると、あっというまに魔法を堪能できます。...

存在の耐えられない軽さ、と広大過ぎて切ないロシア

ミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」は小説音痴の僕でも半分は読めても、「不滅」は意外に全然ダメ。クンデラの「不滅」はゲーテをモチーフにファウスト的な世界観を描写している書物なので、ファウストを得意なオハコにしている僕としては楽勝と思ってもページが全く進まない。 最近になり、スターリンへのプチマイブームから「ロシア」を俯瞰できるよう、2021年秋にガガっと齧り食いみたくロシアを試食してみると、ロシアは深く寒い。そんで広い。昭和の世界地図はほぼ...

キッシンジャー回想録「中国」

ヘンリー・A・キッシンジャーは現在98歳、日本で言えば戦後の高度成長期に属するというよりは、安保世代に自分は帰納するという方たちには有名で、その他ではアメリカを代表するユダヤ人というぐらいの認識が一般的だと思います。ついでに言えば、ニクソン、フォードという凡庸で強欲な二人のアメリカ合衆国大統領を「補佐」したというより「連れ歩いた」、知的な偉丈夫でしょうか。...

唯一者とその所有

マックス・シュテルナー、この著者を知ってる方はまずいない。僕もごく最近になって初めて知り、既存で発行されている書物がこの一冊のみというのも極めてまれ。 誕生日が同じ(僕とね)、それと死に方が「毒蛇に噛まれて野垂れ死んだ」というだけで親近感を持ったためか、この排他的で読者を選ぶ文体に意外とスンナリ滑りこめました。 若者や一定以上の学識がない方を初めから相手にするつもりがシュテルナーにはありません。ゼロです。この暴力的な意志が圧巻。実は内容も最初から最後まで和やかではありません。なのに比喩は機知に富み、軽やかさも有する文体は天賦の才としかいえません。...