新型コロコロ騒ぎの帰結として、マスクは日本人にとって「令和のちょんまげ」と表した方がいて、なるほど!!!….と頷いていた矢先、「ゲルハルト・リヒター展」を東京国立近代美術館に観にいった所感で、これはチョンマゲでは済まないと確信しました。
令和のちょんまげ、は外国人から見てマスクを能動的に外せない日本人を揶揄して表現されたもので、とてもウィットに富むキャッチです。されど、わかった、これはもはやチョンマゲのレベルでは済まず、マスクすることによる「匿名性」つまり自分を隠せる魔力に多くの日本人は堕ちてイってる。
うんちくは省略して「ゲルハルト・リヒター展」でスマホのシャッター音を消さずにバイキング料理を漁るが如く写メを撮りまくるオバさんたちを僕は最大限に嫌悪する。
マスクをすることで得られる匿名性がマナーという作法を日本から消している。芸術史におけるリヒターと1%の親和性を持たない「圏外の人間」の愚行に、憤りを僕は制御できず「シャッター音、邪魔です」と5人ぐらいに言ってしまいました。
主催者である東京国立近代美術館に対する認識も更新。前回、この日本を代表する美術館に行ったのは「柳宗悦の回顧展」でしたが、生前の柳宗悦がこの東京国立近代美術館の運営姿勢をコテンパに論破した文章が、免罪符のように陳列されていました。
リヒター展を主催する美術館として、柳宗悦に便乗する訳ですが、あそこはダメ。リヒターと写メ撮りに熱中するオバさんを観覧すると、純白の陶器の皿にオバさんの便が臭気を漂わせながら脱糞している錯覚にとらわれてしまう。